長い歴史のロマンがあふれる川越大師喜多院の節分会
平安時代に創建され慈恵大師を祀る天台宗の寺院
川越大師喜多院は、埼玉県川越市に建立されている天台宗の寺院です。平安時代の830年に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって創建されたと伝わっています。その後、鎌倉時代の1205年には火災の被害に見舞われますが、伏見天皇の命によって慈恵大師(元三大師)(じえだいしがんざんだいし)を祀って復興されました。
創建以来の長い歴史感が漂う建造物
境内には中央の慈恵堂を取り囲むように、多宝塔、慈眼堂、山門、鐘楼門、東照宮、日枝神社など数多くの堂宇が建ち並んでいます。特に山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門で、寺院に現存する最も古い建造物です。1632年に徳川家康と深い親交関係をもち、江戸幕府初期の政策決定に大きな影響力を及ぼした天海僧正(てんかいそうじょう)が建立したものです。
他にも境内には江戸城の紅葉山の別殿が、客殿、書院、庫裏として移築されています。客殿は、桁行(けたゆき)8間、梁間(はりま)5間の入母屋作り(いりもやづくり)の建物に柿葺(こけらぶき)の屋根が施されています。上段の間には、江戸幕府で第3代将軍を務めた徳川家光(とくがわいえみつ)誕生の間が残されています。客殿に繋がる書院は、桁行6間、梁間5間の寄棟作りの建物で屋根は柿葺です。書院内には徳川家光の乳母であった春日局(かすがのつぼね)が使用していた部屋が残され、春日局化粧の間として公開されています。寺院の中には創建以来の長い歴史のロマンがあふれているのです。例年、初詣の時期には約40万人の参詣者が訪れる県内でも屈指の初詣スポットとなっています。
慈恵大師は平安時代に第18代の天台座主を務め、1月3日に涅槃を迎えられました。節分の日は、月遅れのご縁日に当たるのです。例年、節分会としてのご祈祷が行われた後に、豆まきが行われています。
例年2月3日の13:20にスタートする豆まき
豆まきの会場となるのは、慈恵堂の前です。高さ数メートルの特設の豆まき台が張り出されます。
豆まきの開始時間は、例年13:20前後です。慈恵堂での開運厄除の護摩祈願を終えた年男年女たちが、豆が山盛りになった升を手に豆まき台に向かいます。かみしも姿の人々は、例年100人前後となるようです。
定刻になると台上から境内に向かって、一斉に豆がまかれます。大師の服や功徳を豆に見立てて参拝者に分けるのです。
豆まきのかけ声は鬼に敬意を払い「福は内」のフレーズを連呼
豆まきの際のかけ声は、一般的には「鬼は外、福は内」でしょう。ところが、川越大師喜多院では少し異なります。「福は内」のフレーズのみを連呼するのです。川越大師喜多院では、鬼が仏教を守る仏の一つとされています。鬼は邪な心から目覚めさせるために、仏が姿を変えたとも考えられているのです。従って、「鬼は外」を唱えることはありません。
慈恵大師は角大師(つのだいし)の別名をもっており、鬼のような姿となって厄除けをする大師が描かれたお札が慈恵堂内の授与所で頒布されています。
「福は内」のかけ声で豆まきが行われると、豆まき台の前には参拝者が隙間なく埋め尽くし、より多くの福豆を手に入れようと、腕を高く伸ばしています。
豆まきで福豆を思うようにゲットできなかった場合は、授与所で福升を購入することができます。
例年、節分の日には川越大師喜多院は大勢の人々で賑わいます。境内には様々な種類の露店が軒を連ねます。
川越大師名物の厄除けだんごなども販売されているので、さらなるご利益が期待できるかもしれません。
<施設情報>
施設名 川越大師喜多院(かわごえたいしきたいん)
住所 埼玉県川越市小仙波町1-20-1
電話番号 049-222-0859
アクセス 東武東上線・JR川越線「川越駅」より徒歩約20分、東武東上線「川越市駅」より徒歩約18分、西武新宿線「本川越駅」より徒歩約15分
公式ホームページ https://kitain.net/
例年の節分豆まきのスタート日時 2月3日13:20前後