家康が誕生し戦国武将として名乗りをあげた岡崎城
徳川家康は1542年11年12月26日、岡崎城主の松平広忠の嫡男として岡崎城で産まれました。ところが6歳を迎えた1548年には人質として織田家に、1549年には今川家に移り住むことになりました。その後の1560年6月12日には桶狭間の合戦が起こり、今川義元が織田信長の奇襲によって命を落としました。これをきっかけに家康は1560年に、岡崎城に戻ることになったのです。誕生の城で乱世に巻き込まれ、戦国武将として名乗りをあげました。
岡崎城址は岡崎公園として整備され、園内には家康の銅像が建立されています。1959年に3層5階建で復元された天守は、2006年に「日本100名城」に選定されました。館内は岡崎城や城下町の歴史資料館となっています。
岡崎公園の北端には「三河武士のやかた家康館」が設けられています。館内では家康の出生から天下統一まで、それを支えた三河武士達を、5つのコーナーに分けて常設展で解説しています。
<施設情報>
施設名 岡崎城
住所 愛知県岡崎市康生町561-1
電話番号 0564-24-2204(岡崎パブリックサービス)
営業時間 9:00から17:00(入館は16:30まで)
定休日 年末(12月29日~12月31日)
料金 一般大人=300円/一般小人=150円
アクセス 名鉄「東岡崎駅」より徒歩約15分
今川家と対立し信長と同盟関係を結んだ清洲城
人質としての生活から解放され18歳で岡崎城に戻った家康は、今川家と対立するようになり、織田信長と手を携えることになります。当時、清洲城を居城としていた信長を訪ね、1562年には清州同盟が結ばれました。これを機に家康は三河、遠江、信長は美濃への進軍を開始したのです。
清洲城は、信長が天下取りの野望を抱き、戦国時代の乱世の平定のため、全国を駆け巡る出発点となりました。清須市を流れる五条川には鮮やかな朱色の大手橋が架けられ、天主閣が復元されています。
現在の天主閣は1989年に旧清洲町の町制100周年を記念して建造されました。桃山時代の城のデザインが再現されています。4層の建物の屋根には鯱が、金色に輝いています。
天主閣の中に入ることができます。1階は「プロローグゾーン」、2階は「戦国の都・清須ゾーン」、3階は「覇者たちのルーツ・清須ゾーン」、4階は「天下一吉例ゾーン」として、テーマごとに戦国時代の歴史が解説されています。
最上階の4階からは眼下に、大手橋越しの清須市の市街地が広がります。
大手橋をはさむ清洲城の対岸には「ふるさとのやかた」が設けられています。地下の清洲甲冑工房では、信長が考案したと伝わる桶側胴(おけがわどう)をモデルとしたアルミ製の甲冑を製作されており、清洲城の中で試着することができます。1階は無料の休憩施設で、土産物や地元の新鮮な野菜を数多く販売しています。
<施設情報>
施設名 清洲城(きよすじょう)
住所 愛知県清須市朝日城屋敷1-1
電話番号 052-409-7330(清洲城管理事務所)
開館時間 9:00から16:30
休館日 月曜日〈休日の場合は直後の平日〉、12月29日から31日
天主閣入場料 大人=300円/小人=150円
アクセス JR東海道本線「清洲駅」より徒歩約15分
三河から遠江に勢力拡大を図る足がかりとなった吉田城
1570年に信長と清州同盟を結んだ家康は、先ず三河の平定を目指します。岡崎の東方の豊橋市を治めていたのは、小原鎮実(おはらしげざね)でした。駿府城の今川家から吉田城代に任命されていたのです。家康は1564年に吉田城を攻略し、今川家の勢力を三河から一掃しました。
家康は吉田城主として、徳川四天王の一人、酒井忠次(さかいただつぐ)を据えます。忠次は吉田城の改築を行い、新たな堀を作ったと伝わります。その後の1582年の本能寺の変で信長が命を落とすと、代わって豊臣秀吉が政権を掌握します。秀吉時代には池田輝政(いけだてるまさ)が吉田城主となりました。輝政は城郭を大改造し、鉄櫓(くろがねやぐら)の下の石垣は、当時の最新技術によって組み上げられたと言われています。
<施設情報>
施設名 吉田城(よしだじょう)
住所 愛知県豊橋市今橋町3
電話番号 0532-51-2430(豊橋市観光振興課)
入場料 無料
定休日 月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館)
鉄櫓の内部公開時間:10:00から15:00(外観見学は随時可)
アクセス JR東海道本線「豊橋駅」より市電に乗車、「市役所前」または「豊橋公園前」で下車し徒歩約3分
信長の死後にライバルとなった秀吉が小牧・長久手の戦いで本陣を置いた犬山城
家康は吉田城を攻略した後の1566年に三河を平定します。1570年には信長とともに参戦した姉川の戦いで勝利をおさめ、遠江まで勢力を拡大し浜松城に居城を移します。ところが1582年の本能寺の変で信長が、この世を去ったのです。信長に代わって覇権を握ろうとしたのは豊臣秀吉でした。この秀吉のライバルとなったのは家康です。1584年には両者の間で、小牧・長久手の戦いが行われました。この合戦のため、秀吉は犬山城を本陣としたのです。
犬山城は、愛知県犬山市を流れる木曽川の南岸に聳える標高約80メートルの城山に建造されています。1537年に信長の叔父、織田信康によって木之下城から城郭を移し築城したと伝わっています。天守は江戸時代までに建造された「現存天守12城」の一つです。また、姫路城、松本城、彦根城、松江城とともに国宝に指定され、国内でも有数の城として高く評価されています。3重4階地下2階の望楼型天守は、バランス感覚があふれ独特の安定感を漂わせています。
天守には入ることができ、出入口が設けられた地下の穴倉では、高さ約19メートルの天守を支える石垣や、太い梁を見ることができます。1階の中央部には第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間の4室が設置され、それらを武者走りが取り巻いています。2階では周囲を武者走りが巡る中に武具の間が設けられています。3階の屋根の南北は唐破風(からはふ)、東西は入母屋破風(いりもやはふ)で装飾されています。
天守の最上階の4階は、高欄(こうらん)と廻縁(まわりえん)が取り囲む望楼(ぼうろう)となっています。廻縁からは眼下に、おだやかに流れる木曽川や、犬山の城下町が広がります。
犬山城からは南方に城下町が繋がります。築城のとき町割りにも細かな神経が払われ、総構えと呼ばれる城郭構造が築き上げられたのです。町の中央に町人町を置き、これを侍町が囲むばかりでなく、町の外周を木戸や堀、土塁などで取り囲み、城下町としての守りを固めていました。商人や職人の同業者を集め、産業の発展が促されました。今でも鍛冶屋町、魚屋町などの町名に名残を留めています。幸いにも第二次世界大戦などの戦火にあわなかったため、古い町並みが残り豊かな風情を漂わせています。
<施設情報>
施設名 犬山城(いぬやまじょう)
住所 愛知県犬山市犬山北古券65-2
電話番号 0568-61-1711(犬山城管理事務所)
開館時間 9:00から17:00(入場は16:30まで)
休館日 12/29から12/31
アクセス 名古屋鉄道犬山線「犬山遊園駅」より徒歩約15分
小牧・長久手の戦いで家康が本陣を構えた小牧山城
小牧・長久手の戦いの際、秀吉は犬山城を本陣としましたが、一方の家康は小牧山城に本陣を構えました。信長の死後、後継者としての地固めをする秀吉に対して家康は、信長の次男の織田信雄(おだのぶかつ)を擁立して対立したのです。両者は1584年3月から11月にかけて小牧、長久手でにらみ合いを続けました。6ケ月にわたる戦いは膠着状態となり、和議が成立しました。その後の1595年、家康は豊臣政権を支える五大老に任命されました。
小牧山城は愛知県小牧市の西部に聳える、標高約86メートルの小牧山の頂上に建っています。起源については明らかにはなっていませんが、1563年に信長が大規模な城を築城したと伝わります。家康と清州同盟を結んだ信長は、勢力範囲を美濃に拡大しようとしました。その際に拠点としたのが小牧山城です。天守は1968年に京都の西本願寺の飛雲閣をモデルとして復元されました。現在は小牧市歴史館として公開されています。館内では小牧山城や城下町の歴史や発掘調査の成果などが展示されるばかりでなく、小牧・長久手の戦いを立体パノラマにして、合戦の経過を音声と映像で解説するコーナーも設置されています。
小牧山城は東西約600メートル、南北約400メートルの山全体を敷地としています。山中を6つの曲輪地区に分けた縄張りは、火車輪城(ひくるまわじょう)とも呼ばれていました。本丸へは、南に設けられた大手口から大手道が直線的に中腹まで繋がり、そこから折れて本丸に向かうアクセスとなっています。
小牧山南麓の大手口には、小牧山城史跡情報館「れきしるこまき」が2019年4月にオープンしました。小牧市歴史館とともに入館すると、小牧市の歴史をさらに深堀することができることでしょう。
<施設情報>
施設名 小牧山城(こまきやまじょう)
住所 愛知県小牧市堀の内1-1
電話番号 0568-72-0712(小牧市歴史館)
小牧市歴史館入場料 大人=100円/中学生以下=無料
開館時間 9:00から16:30(有料エリアへの入場は午後16:15まで)
休館日 第3木曜日(但し祝日の場合は翌平日)/年末年始(12月29日から1月3日)
<館内の展示改装のため2022年12月1日から2023年3月31日まで休館>
アクセス 名鉄小牧線「小牧駅」より徒歩約20分
まとめ
NHK大河ドラマ2023『どうする家康』の主人公、岡崎城で誕生した後、戦国時代をリードする織田信長や豊臣秀吉と深く関わりながら、江戸幕府将軍への道を突き進みました。愛知県内に残る岡崎城、清洲城、吉田城、犬山城、小牧城の5城は、家康の人生にとって大きな岐路となった城です。全ての城を順に巡ると、家康の生涯がくっきりと見えてくることでしょう。