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【完全版】大阪の大阪城公園の魅力をご紹介

【完全版】大阪の大阪城公園の魅力をご紹介

2023-07-20 Obaq

大阪城公園は、戦国時代の末期1583年に天下統一の偉業を果たした豊臣秀吉が築いた大阪城の跡地を整備した公園です。天守閣を中心とした園内には、歴史のロマンがあふれるばかりでなく、四季折々の表情を見せてくれます。本記事では、大阪城公園の魅力をご紹介します。
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国内では47都道府県、海外では67ケ国を巡っております。この経験をいかし、
幅広い視野で観光スポットの魅力や特徴をお伝えして参ります。

激動する日本史によって目まぐるしい変貌を遂げた大阪城

大阪城公園は大阪城の天守閣を中心として1931年に開園しました。広大な敷地面積をもつ公園は、現在では大阪市民の憩いの場となっていますが、この地域では紆余曲折の歴史が刻まれました。

戦国時代にまで時代を遡ると、公園の敷地には大坂本願寺が建立されていたのです。1570年頃になると天下統一を目指す織田信長が、浄土真宗の本願寺勢力と戦いを繰り返すようになりました。石山合戦で勝利を収めると、信長は大阪平野を南北に延びる丘陵地の先端にある上町台地に注目しました。台地の北には淀川が流れる天然の要害であるばかりか、川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあったのです。

本能寺の変の後の1583年には、豊臣秀吉が大阪城の築城を開始し、工事は終わることなく延々と続いたようです。秀吉は大阪城で諸大名との謁見を行っていましたが、1598年に死去した後は、遺児の豊臣秀頼が居城としました。関ヶ原の合戦後の1615年には大坂夏の陣が起こり、徳川家康の攻撃を受け大阪城は落城してしまいました。その後の城下は荒廃していましたが、第2代将軍の徳川秀忠が1620年から10年をかけて、豊臣色を払拭する大坂城の再築が行われました。ところが、江戸時代の城郭施設も明治維新の動乱によって焼失してしまいました。大阪城は日本史の節目のタイミングごとに激動し続けたのです。

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現在の天守閣は、昭和天皇の即位記念事業として、1931年に復興されたものです。江戸時代の天守台の石垣を基礎固めし、高さ約54.8メートル、5層8階で建造されました。『大坂夏の陣図屏風』を基に外観設計が行われ、初層から4層までを徳川時代の白漆喰壁とし、最上部の5層目には豊臣時代の黒漆に金箔で虎のレリーフや鶴の絵が描かれています。緑色に変色し銅葺きの瓦に、ゆるやかなカーブを描く破風が、独特の風格を放っているようです。「錦城」や「金城」の別称をもつ大阪市のシンボルは、国の特別史跡に指定され、日本の三名城の一つに数えられることもあります。

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博物館として公開される天守閣内部

天守閣の内部は、博物館として公開されています。3階の展示室では、江戸時代に「大坂三郷」と呼ばれた城下町に関する展示が行われています。「北組」、「南組」、「天満組」の3組に分けられた地域には、市場、芝居小屋、蘭学塾、大名の蔵屋敷などが立ち並んでいたようです。展示品は季節ごとに入れ替えが行われ、春と秋にはテーマ展や特別展を開催しています。他にも豊臣秀吉、真田幸村などの武将の兜や陣羽織が試着体験できるコーナーも設けられています。最上階の展望台からは、金の鯱の先に、大阪の市街地、生駒山、大阪湾、大阪平野などの眺望が広がります。

大阪城公園に残る江戸時代の遺構

天守閣の周囲約105.6ヘクタールが、大阪城公園として整備されています。園内には、大手門、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、焔硝蔵、金蔵、金明水井戸屋形、桜門などの遺構が残されています。大手門は正面玄関の役割を担い、敷地の南西に設けられた長さ約80メートルの大手土橋から二の丸に向かう位置に建造されています。

多聞櫓は1628年、徳川幕府による大阪城の再築のときに創建されました。ところが1783年落雷によって焼失し、1848年に再建されました。大手門から侵入した敵兵を迎え撃つための櫓です。大門の上に構えられた渡櫓と南北に長い続櫓がL字型で繋がっています。続櫓には「武者走り」と呼ばれる廊下や小部屋が設けられ、鉄砲で敵兵を攻撃するための銃眼を備えた笠石が並んでいます。渡櫓には「槍落とし」が設置され、大手門から侵入しようとする敵兵を真上から攻撃できます。

多聞櫓の北側に並び立つ千貫櫓は、徳川幕府が大阪城の再築を始めた1620年に建造されました。現存する大阪城の遺構の中で、最も古い建造物です。石山本願寺と戦った信長が、この付近に建っていた櫓を攻めあぐね「千貫文出しても奪いたい」と言ったことから櫓の名前がつけられました。外壁に設けられた鉄砲狭間や格子窓からは大手土橋を望むことができ、横矢掛けを仕掛けることができました。銃眼から火縄銃を大手口に向かって構える体験をすることができます。「武者走り」には、大工道具の釿(ちょうな)の痕が残され、歴史感を漂わせています。

園内に点在する特徴的な巨石や刻印石

大手門から空堀に沿って東に歩くと桜門です。虎口を入枡形とする高麗門形式の城門です。二の丸から本丸に入るための門として建造されました。現在の桜門は、天守閣の復興に先立つ1820年に、土塀とともに再建されました。門の左右の石垣には、「竜石」、「虎石」と呼ばれる巨石が左右対称に置かれ、独特の安定感とバランス感覚を漂わせています。門の扉は鉄板張りで、一間一戸の潜戸がつけられています。扉の角の金具にはイギリスからの輸入品が使われたようです。

桜門を潜ると、正面の「蛸石」を見上げることになるでしょう。備前岡山藩の第2代藩主の池田忠雄によって、1624年に持ち込まれたと伝わります。縦約5.5メートル、横約11.7メートル、重量約108トンの巨石は、城の石として日本一の大きさを誇っています。雨が降ると石の表面に蛸の姿が浮かび上がると言われています。かつては、この巨石の上に多聞櫓が建造されていました。

「蛸石」を左に見ながら北に進むと、本丸跡のエリアとなります。天守閣を囲む広場では、一年を通して多彩なイベントが開催されています。

本丸広場から天守閣を越えてさらに北に向かうと、大きな石がごろごろと並ぶ広場があります。まるで、子ども達の遊び場のように見えますが、刻印石広場と呼ばれています。江戸時代に徳川幕府は、全国の諸大名に工事を行わせる天下普請によって大阪城を再築しました。1620年の工事開始から約10年間にわたって、全国各地から大量の石が大阪に運ばれたのです。石には文字や文様の他、大名の家紋などが刻み込まれました。大阪城の周辺では、これまでに数万個の刻印石が発見されており、工事の規模を想像することができるようです。広場の周辺には「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑や、「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」、「山里丸石垣の機銃掃射痕」などがあり、歴史感を漂わせています。

築城技術の円熟期に積み上げられた精巧な石垣

全国諸藩の大名が持ち寄った石は、天守閣や櫓の土台、城の外周などの石垣として積み上げられました。江戸時代初期の再築の時期は、日本の築城技術の円熟期に当たります。石と石が隙間なく組み合わされ、土木技術の完成度の高さが証明されているようです。規模の大きさや、精緻で整然とした美しさは、諸大名が各藩の威信をかけ建造した結果なのです。延々と続く石垣からは往時の大阪城の規模を感じとることができます。石垣の下部からは、穏やかな水面を湛える堀が繋がっています。城の防衛に不可欠な設備ではありますが、現在では景観に潤いを与えてくれているようです。

内堀を巡る「大阪城御座船」

本丸広場を囲む内堀では、遊覧船の運航が行われています。天下一の黄金の和船の「大阪城御座船」に乗船して、天守閣の周りを所要時間約20分で一周します。和船は豊臣時代の大阪城と城下町を描いた貴重な屏風絵、『豊臣期大坂図屏風』の中に描かれる秀吉の「鳳凰丸」をモデルにとして再現したものです。船からは、日本一の高さを誇る石垣をはじめ、魔よけの人面石、大名の刻印石を間近で見ることができるのです。

「さくら名所100選」の一つに数えられる西の丸庭園

西外堀と内堀の間には、西の丸庭園が広がります。豊臣秀吉の正室の北政所の屋敷があったとされている6万平方メートルあまりの敷地が、芝生庭園として整備されました。園内からは東に天守閣や掘の石垣をバランス感覚豊かな表情で眺めることができます。堀沿いにはソメイヨシノを中心に約300本のサクラが一直線に並び、絶好のお花見スポットとなっており、「さくら名所100選」の一つに数えられています。また秋には芝生広場を囲む樹木が紅葉し、季節ごとに彩りを変化させています。

ショッピングやグルメの施設が凝縮するミライザ

大阪城公園には、歴史を感じさせる建造物や自然があふれていますが、ショッピングやグルメの施設も充実しています。本丸広場の東に設けられたミライザに、それが多種多様の店舗が凝縮しているのですが、ミライザ自身にも数々の歴史が刻まれています。
建物は、大阪城天守閣の再建と同じ時期の1931年に、旧大日本帝国陸軍の第四師団司令部庁舎として創建されました。堂々とした外観には中世ヨーロッパの古城を思わせます。壁面上部の装飾、正面や四隅の隅塔などが特徴的です。戦後は大阪市警視庁、1960年から2001年までは大阪市立博物館として利用されていました。
現在は、1階に観光物産ショップやカフェ、コナモン・バル、2階から4階にはイタリアン・レストランや創作和食店などが営業しています。

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まとめ

大阪城公園は、大阪市の中心部で、大阪城の天守閣を囲むように広がっています。大阪城は激動する日本史の流れに従って、築城と落城を繰り返しました。明治、大正の時代には姿を消していた天守閣は、1931年に復興されました。公園内には江戸時代の遺構も数多く見られ、歴史的なロマンが漂っています。

<基本情報>
住所:〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1-1
アクセス(最寄駅):大阪メトロ「天満橋駅」・「谷町四丁目駅」・「森ノ宮駅」/JR環状線「森ノ宮駅」・「大阪城公園駅」
電話番号:06-6755-4146
天守閣開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:12月28日~1月1日
天守閣入館料:大人=600円/中学生以下=無料
公式サイト:https://www.osakacastlepark.jp/?lang=ja

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