溶岩アートが美しい「浅間山麓」
天明3年の浅間山噴火によって流れ出た溶岩が冷えて固まり形成された溶岩の芸術「鬼押出し園」。
「火口で鬼が暴れて岩を押し出した」という当時の人々の印象が、この名前の由来になったといわれています。
浅間山ってどんなところ?
そもそも浅間山は、今から数万年以上前に活動を開始したと考えられており、西暦685年の噴火を境に、長い期間にわたって数々の爆発を繰り返してきたといわれています。
特に有名なのが、1783年(天明3年)4月頃から浅間山は活発に活動を始め、火山性地震で大地が鳴り響き、何度も爆発を繰り返しました。
そして7月に入ると大規模な噴火活動が始まりました。
7月7日の夕方から激しい噴火となり、夜の鳴動は非常に激しかったといわれています。
夜が明けても空一面黒煙に包まれ、朝なのに夜のように暗かったそうです。
そして8日午前10時頃、浅間山に光が見えた瞬間、真っ赤な炎が数百メートルも吹き上がり、火砕流があっという間に山肌を下って家屋や多くの人々を飲み込みました。
その時間なんとたったの十数分の出来事。
家屋・人々・家畜などをのみこみながら土石なだれは吾妻川に落ちました。
鎌原村の被害は死者477人、生存者は鎌原観音堂に逃げ延びた93人のみだったといわれています。
この噴火の際、最後に流出したのが鬼押溶岩流です。
鬼押し出し園とは?
群馬県民の必須科目「上毛かるた」の“あ”の札で詠まれている「鬼押し出し園」。
浅間山の麓に広がる溶岩の芸術を楽しめる上信越高原国立公園内の施設です。
自然のエネルギーの壮大さを目の当たりにできる、国内でも珍しい観光名所です。
浅間山“前掛山噴火口”から短時間に流出した大量の溶岩が、火口から5.5km、広さ6.8l㎡推定体積1.7×108㎡の規模で広がり、末端部では50m以上の厚さに達する塊状溶岩で構成されていると言われています。
その姿がまるで「鬼押し出して作ったようだ」と言われたことから“鬼押し出し”といわれたことから「鬼押し出し」と命名されたといわれています。