隅田川(桜橋から吾妻橋までの東岸)
隅田川の流れに沿って繋がる約1キロの桜のトンネル
早春の時期になると、「春のうららの隅田川」の歌詞を口ずさんでしまう方も少なくないでしょう。明治時代に西洋音楽の様式を積極的に取り入れて、作曲活動を行った滝廉太郎の代表作「花」の冒頭です。歌詞の中に桜は出てきませんが、自然と隅田川の河原に咲く桜が脳裏をかすめていくことでしょう。滝廉太郎も隅田川に沿って歩いたに違いありません。
隅田川は東京都北区の岩淵水門で荒川から分かれ、7つの区内をまたぎ東京湾に注いでいます。約23.5キロの流れの上には、デザインの異なる橋がいくつも架けられています。墨田区内には川の東岸から11の橋が流れをまたいでいます。上流から、白髭橋(しらひげばし)、桜橋(さくらばし)、言問橋(ことといばし)、花川戸鉄道橋(はなかわとてつどうきょう)、吾妻橋(あづまばし)、駒形橋(こまがたばし)、厩橋(うまやばし)、蔵前橋(くらまえばし)、蔵前専用橋(くらまえせんようきょう)、隅田川橋梁(すみだがわきょうりょう)、両国橋(りょうごくばし)です。この中で桜橋から吾妻橋までの約1キロには、桜が密度高く植栽されています。例年3月上旬から4月上旬にかけて隅田川に沿って桜のトンネルができあがります。見頃時期にあわせて「墨堤さくらまつり」が開催されています。
江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗が始めた桜の植樹
隅田川沿いに桜の植樹が始まったのは、江戸時代にまで遡ります。第8代将軍の徳川吉宗が、隅田川の両岸に桜を植えるように命を出したのです。それ以来、江戸幕府のお膝元で、庶民が桜の花見を楽しみました。吉宗は「享保の改革」で質素倹約、風俗矯正を行い、歌舞伎や遊里などの庶民の娯楽の場を厳しく制限する一方で、お花見という新たな健全娯楽を提供したのです。江戸時代にはお花見の文化がすっかりと定着し、墨堤の桜並木には300年近い歴史が刻まれているのです。2012年には墨田区押上に現代の東京のシンボルの東京スカイツリーが完成し、河原の桜越しの風景が近代化されました。発展を続ける東京の姿を見ることができます。世紀を超えて有数の桜の名所として知られ、ここで桜の花を楽しんだ人を数えることは不可能でしょう。「日本さくら名所100選」に選ばれ、お花見の名所として不動の評価を勝ちとっているようです。
桜橋から吾妻橋までの東岸を埋め尽くす桜
墨堤の桜並木は、桜橋周辺から川の流れに沿って下流に延々とつながります。桜橋は隅田川で唯一の歩行者専用橋で、1985年に完成しました。X字形のユニークな形をしています。桜橋の東岸の墨田区側には南方に向かって343本前後の桜が並木を作っています。台東区側にも600本前後の桜並木が続き、隅田川を両岸からシンメトリックに彩ります。桜の花が見頃を迎えると、両岸の桜を楽しむために大勢の人々が行き交います。
桜橋から、言問橋、花川戸鉄道橋を越え、吾妻橋までの墨堤は、桜の木で埋め尽くされています。どこを歩いていても頭上からは薄紅色の花が覆いかぶさってきます。
桜の花をつなぐように提灯が吊るされ、和の風情が漂います。
土手に整備された遊歩道の幅は広くはなく、広場のようなものもないので、レジャーシートを敷いて花見を楽しむのは難しそうです。でも、「墨堤さくらまつり」の開催期間中には数多くの露店が軒を連ねます。中には椅子やテーブルを準備した店も姿を現すので、そこで飲食を楽しむことができます。
早春の隅田川の流れを夕陽が照らす頃には、桜の並木をつなぐ提灯に灯がともされライトアップされます。夜空に浮かび上がる桜は幻想的で、お花見の気分もきっと盛り上がることでしょう。
屋形船に乗って川面から眺める桜
さらに隅田川でのお花見で魅力的なのが、屋形船に乗って川面から両岸の桜を楽しむことです。隅田川や支流沿いにはいたるところに乗船場が設置され、数十の船会社がクルージング船を運航しています。各々の船会社で屋台船のデザイン、客席、展望デッキ、運航コース、所要時間に工夫がこらされているので、魅力的なプランを見つけ出すことができることでしょう。食事時間に運航される屋台船では、板前さんが一緒に乗船し、刺身、天ぷら、ステーキなどで腕をふるってくれます。中にはもんじゃ焼きをメニューに取り入れているプランもあります。川のせせらぎに乗って、ゆったりと流れる時間を感じれば、かけがえのない体験となるに違いありません。きっとお花見スポットでは味わえない季節感を感じとることができます。