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大阪の城めぐり!ぜひ行ってほしい城・城跡5選

大阪の城めぐり!ぜひ行ってほしい城・城跡5選

2021-07-12 運営事務局

大阪には、豊臣秀吉が築いた大阪城をはじめ、数々の城・城跡が残っています。
貴重な天守などの建造物がある城から、遺構が何も残っていない城跡まで様々ですが、どれも大変歴史を感じるものばかりです。それぞれの城について調べると、知らなかったことが色々と知ることもできとても興味深いことでしょう。
今回はそんな中から、大阪にある、ぜひ行ってほしい5つの城・城跡をご紹介します。
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大阪城天守閣



大阪観光に行ったら外せないのが、『大阪城天守閣』でしょう。
大阪市中央区という大阪の真ん中に位置する場所にあり、敷地面積105.6haという広大な「大阪城公園」の中にあります。
大阪城公園の最寄り駅は、JR大阪環状線 大阪城公園駅で、天守閣までは徒歩約10分ほどです。また、地下鉄谷町線・中央線の谷町四丁目駅からも徒歩約7分で行けます。

1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)のおよそ15年をかけて、豊臣秀吉が天下統一の拠点として「大坂城」(当時の表記)を築城しました。
しかし1615年(元和元年)豊臣家と徳川家率いる江戸幕府により行われた“大阪夏の陣”により大坂城は落城してしまいます。
そして2代将軍徳川秀忠が、1620年(元和6年)から10年をかけて大坂城を再築。3代将軍家光の時に完成しました。
工事は大規模に行われ、豊臣時代より石垣、堀の深さは2倍、天守は15mも高く造られました。
しかしこの天守も1665年(寛文5年)に落雷を受け焼失。

そして1928年(昭和3年)当時の大阪市長・関一氏の提案と市民の募金により大阪城天守の再築がされ、1931年(昭和6年)に竣工しました。
現在建っている『大阪城天守閣』は2度の焼失を経て、なんと3代目にあたるのです。

天守閣内は歴史を感じることができるミュージアム



天守閣は1階~8階からなり、中は博物館施設となっています。
戦国時代の資料、大阪城にまつわる資料、豊臣秀吉ゆかりの品々などが展示されていて、歴史を学ぶ学生さんや日本の歴史・文化に触れたい外国の方々にとっては、非常に興味深いものとなるでしょう。
8階には展望台があり、広大な大阪城の敷地、大阪の街が一望できます。

ライトアップや桜も楽しめる



天守閣は冬季限定でイルミネーションや、日没後ほぼ毎日ライトアップがされています。
過去には、新型コロナウイルス感染症の拡大に対して、医療従事者の方々に敬意と感謝の気持ちを表し「感謝のブルーライトアップ」が行われました。



また大阪城公園は桜の名所としても知られており、ソメイヨシノを中心に約300本もの桜が訪れる方たちの心を癒してくれます。
日中のお花見はもちろん、夜は天守閣とともに夜桜のライトアップも楽しめます。

<施設情報>
名称:大阪城天守閣
住所:〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1-1
電話番号:06-6941-3044
開館時間:9:00~17:00(最終入場16:30)
     ※桜シーズン、ゴールデンウィーク、夏休みは開館時間を延長
     ※状況に応じて16:30より前にチケット購入列へ制限をかけることもあり
休館日:12月28日~1月1日
利用料金:【大人】600円 【中学生以下】無料 ※中学生は、要証明(生徒手帳など)
URL:https://www.osakacastle.net/
   https://www.instagram.com/osaka_castle_park/?hl=ja



岸和田城



だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市に『岸和田城』があります。
交通アクセスは、南海本線 蛸地蔵駅より徒歩約7分、岸和田駅より徒歩約10分となります。
5494㎡の敷地に堂々と天守閣が建っています。岸和田城は別名「千亀利城」(ちきりじょう)とも呼ばれていました。

1334年(元弘4年)楠正成の一族・和田高家(わだ たかいえ)が当時「岸」と呼ばれていた地に城を築いたのが始まりとされています。
そして「岸の和田氏」から、「岸和田」の地名が誕生したと言われています。
1408年(応永15年)細川頼長が岸和田城主となり、以後約130年間 細川氏の支配下になります。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の紀州根来寺討滅で、叔父の小出秀政を城主とします。城郭を大改修し、5層の天守閣も誕生しました。
1640年(寛永17年)岡部宣勝が入城後、明治維新まで13代藩主を務めました。
1827年(文政10年)落雷により天守閣が焼失。
現在の天守閣は1954年(昭和29年)に再建された復興天守です。岸和田城跡は、1943年に大阪府指定史跡となりました。

国の名勝・八陣の庭



独創的な岸和田城庭園は「八陣の庭」と呼ばれます。昭和28年に、日本の代表的な庭園研究科・重森三玲氏によって設計、作庭されました。
芸術的価値および学術的価値の高さにより、平成26年に国の名勝に指定されました。
八陣の庭は、岸和田城天守閣の最上階より一望できます。



長い長い歴史を持った岸和田城。現在の天守閣内は博物館となっており、さまざまな資料が展示されています。
また天守閣の厳かで格式高い雰囲気の中、挙式を挙げることもできます。
そして日没後より幻想的なライトアップも楽しめるので、夜の散策にもおすすめです。


<施設情報>
名称:岸和田城
住所:〒596-0073 大阪府岸和田市岸城町9-1
電話番号:072-431-3251
開館時間:10:00~17:00(最終入場16:00)
休館日:月曜日(月曜日が祝日・休日の場合、及びお城まつり期間中(4月1日~15日)は開場)・年末年始(12月29日~1月3日)・展示替の期間(臨時休場)
利用料金:【大人】300円 【中学生以下】無料
URL:https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/36/kishiwadajyo.html

千早城



大阪府南河内郡千早赤阪村に国指定史跡である『千早城』があります。
千早城は、三方を深い絶壁で囲まれ、背後には金剛山の山頂へと続く尾根があります。
交通アクセスは、近鉄長野線 富田林駅・南海高野線 河内長野駅よりバスで「金剛登山口」バス停下車、徒歩約20分です。
金剛登山のルートにもなっているくらいですので、石段が続いたり、道のりは少し険しくなっています。

鎌倉幕府打倒・楠木正成



鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した河内の武将・楠木正成が築城した城です。
楠木正成は、赤坂城(下赤坂城)と楠木城(上赤坂城)を持っており、千早城は詰城として築かれたのでした。
1333年、千早城は鎌倉幕府との戦乱の舞台となりました。(千早城の戦い)
楠木正成が奇策や知略を用いて、3か月の長期戦の末、見事に勝利しました。

千早神社



千早城本丸跡に「千早神社」があります。城が建てられた際に八幡大菩薩を祀って鎮守として創建されました。
そして後に楠木正成、楠木正行を合祀しました。

千早城は、財団法人日本城郭協会が2006年に定めた「日本100名城」に選ばれています。
登山・ハイキングを考えている方は、ぜひ千早城址へ立ち寄って歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

<施設情報>
名称:千早城
住所:〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早
電話番号:0721-72-0081(千早赤阪村役場)
入山時間:自由
URL:http://www.chihayaakasaka.org/spot/castle.html

池田城



大阪府池田市にある『池田城』は、五月山のふもとに1334年(建武元年)頃、池田教依(いけだ のりより)が築いたと伝えられています。
室町時代から戦国時代にかけて、豊島郡(現在の池田市・豊中市・箕面市)を治めていた池田氏の代々の居城となりました。

1469年(文明元年)の応仁の乱で大内政弘の軍に攻められ落城、その後も奪還と落城を繰り返しますが、1570年(元亀元年)池田氏の内紛に乗じて、家臣である荒木村重が池田勝正を追放、城主となりました。
のちに荒木村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となっていったと言い伝えられています。

四季折々の自然が楽しめる



現在の池田城は、「池田城跡公園」となっています。
当公園は2000年にオープンし、虎口や枯山水、井戸などが忠実に復元されました。
また家屋敷風の管理棟や茶屋、模擬櫓台(展望休憩舎)などは当時の建物やデザインとは異なりますが、池田城のイメージを再現したものになります。



春には梅・桜・つつじ、夏には紫陽花・テッポウユリ、秋にはコスモス・紅葉など、四季折々の花たちが咲き乱れ、移ろいゆく季節を感じることができるでしょう。

池田城跡公園への交通アクセスは、阪急電鉄宝塚線 池田駅より徒歩15分、または池田駅よりバス「五月山公園 大広寺」バス停下車、徒歩2分となります。



名称:池田城(池田城跡公園)
住所:〒 563-0052 大阪府池田市城山町3-46
電話番号:072-753-2767
営業時間:【4月~10月】9:00~19:00 【11月~3月】9:00~17:00
休園日:火曜日(祝日の場合は直後の平日)・12月29日~1月1日
利用料金:無料
URL:https://ikedashiroato.wixsite.com/ikedacastle
   https://www.instagram.com/ikedashiroato/?hl=ja

飯盛城



『飯盛城』は、大東市と四条畷市にまたがってある飯盛山の山城です。「飯盛山城」ともよばれています。
南北700m、東西400mを超えるその規模は、中世山城としては西日本最大級となります。

信長に先駆けた石垣



戦国武将・三好長慶(みよし ながよし)の居城として知られていますが、築城年代は定かではありません。
のちに織田信長に攻め落とされ、その姿がほとんど残っていないため「幻の山城」とも言われています。
城郭史では、石垣の先駆けは織田信長としていましたが、飯盛城の石垣は信長より3年ほど早く導入されていた可能性を 2019年に大東市教育委員会が発表しています。

飯盛城への2つのルート



飯盛城へは、JR学研都市線 野崎駅下車の「野崎観音」から登るルート、四条畷駅下車の「四条畷神社」から登るルートがあります。
どちらのルートもハイキングコースとなっているので、行きと帰りでルートを変えて入山・下山することをおすすめします。

また2017年に、財団法人日本城郭協会による「続日本100名城」に選ばれました。
スタンプラリーの公式スタンプが「四條畷市立歴史民俗資料館」に設置されているので、ハイキング帰りにぜひ立ち寄ってみてください。

<施設情報>
名称:飯盛城
住所:〒574-0011 大阪府大東市大字北條2377
入山時間:自由
URL:http://www.city.daito.lg.jp/kakukakaranoosirase/syougaigakusyuubu/syougaigakusyuuka/bunkazai/iimorijyo/index.html

まとめ

本記事では、大阪の代表的な城・城跡を5つご紹介しました。
広大な土地に建つ立派な復興天守や、西日本最大の山城など、長い日本の歴史を感じられるスポットがたくさんあります。
歴史や城が好きな方も、これから勉強しようとしている方も、大阪の城めぐりをする際にはぜひご参考にしてください。

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